2003,3
ナクル→アンボセリ→マサイマラ
ケニアに立つ!

ナイロビに着いたのはお昼を少し過ぎたぐらいでした。
空港の外には、もとの色を想像しづらいほど日やけしたタクシーが何台も客待ちをしています。風は心地いいのですが、強い日差しです。
同行者は大阪から来られたOさんとIさん。お二人とも若くてずいぶん華奢な感じの女性でしたので、ちょっと驚きました。悲壮な決意でここまで来た自分とは違い、伊勢丹にでも行くみたいに力みがありません。格好いいなあと思いました。
ガイドはイーコーニさん。日本語もじょうずで、にぎやかな人です。中肉中背ながら筋肉質の体は元ボクサーの証。本人いわく、米倉ジムに行けば写真がかざってあるとのこと。
ナイロビ市内は大渋滞でした。日本と同じ左側通行なのですが、信号がほとんどなくて、いったいどういうルールで車を走らせているのかよくわかりません。車の列にまじってロバがリヤカーを引いていたり、中央分離帯の木陰で大勢の男たちが昼寝をしています。
さらに走ると、赤茶けたトタン屋根が何千とひしめき合っている光景にぶつかりました。わけのわからない商売が軒を連ね、うさんくさい熱気を発散しています。東アフリカ最大規模のスラムなのだとか。
ナクル、そしてアンボセリへ
日が少し傾いた頃、ナクルに到着。
湖は無数のフラミンゴでぼんやりピンク色に見えました。湖畔は塩の結晶でおおわれ、おびただしい足跡が残っています。
ロッジへ向かう道すがら、シロサイがあっちからあらわれて、こっちの茂みに消えていきました。ナクルだけでも50頭ぐらいのサイがいるそうです。「ここには、他の場所で保護されたサイが移されてきます。街に近いから密猟に遭いにくい。こっそり捕まえても運び出すときに見つかるからです。レンジャーの監視も厳しいネ。ほら──」
イーコーニさんが指さす方を見ると、折しもヘリコプターが大きなコンテナをつり下げて降下するところでした。
翌朝早くにナクルを発ち、ナイロビに戻ってお昼を食べました。今度は6時間ほどかけてアンボセリを目指します。
少々うたた寝しても景色は変わりません。果てなく荒野が広がり、いくつものアリ塚が並んでいます。あたりになんの建物もないような原っぱで、牛を連れているわけでもなく、老人がただひとり座っていました。
タンザニアとの国境手前で道を折れ、さらに悪路に揺られること2時間。アンボセリの入り口に着いたときはもう夕方でした。キリマンジャロの頂が、今日最後の光を集めて金色に輝いています。さえぎるもののない平地で、OさんとIさんの影は長く長く伸び、離れたところに立っている僕の靴先をかすめました。
今夜の宿泊はオル・トカイ・ロッジ。
見たこともないような満天の星。虫の声や動物のいななきが絶え間なく聞こえてきます。
これぞサバンナ
早起きをした僕は、柵のそばまで歩みよりました。
正面にはキリマンジャロ。水場へむかって移動していくゾウの群れが遠くに見えます。
6時に集まってサファリにいく約束だったのに、イーコーニさんがあらわれません。他の客はみんないなくなって、僕たちだけがぽつんと取り残されてしまいました。30分ほど遅れて駆け込んできたイーコーニさんは、シャツを前後逆に着ていました。どうやら寝坊したようです。
それでも、サファリはすばらしいものでした。ライオン、チーター、ゾウ、キリン、ダチョウ、カンムリヅル、コウノトリ、イボイノシシ――またたくまにフィルムが消費されていきます。
マサイ村から帰ってきたあと、のどが渇いていたのでバーへ行ってビールを頼みました。前歯の真ん中が欠けた若いバーテンダーは、僕が取り出したタバコを見てうれしそうに笑いました。ケニアの人たちがよく吸っている銘柄だったからでしょう。名前は「Sportsman」。冗談か本気かわからないネーミングです。
黄金色の空と涼しくなった風が一日の終わりを告げます。色とりどりの小鳥は姿を消し、かわりに大きなコウモリが飛び交いはじめました。明日はいよいよマサイマラです。
さらばキリマンジャロ
キリマンジャロの白い頂がいつまでも追いかけてきます。来るときは気づかなかったのに、こんなところからもう見えていたのだと思うと、なんだか名残惜しくて、何度も後ろをふりかえりました。
同じ時間をかけて再びナイロビへ。昼食のあと、ウィルソン空港へ向かいます。イーコーニさんとはここでいったんお別れです。ここからはセスナでマサイマラへ飛びます。
マサイマラへ

大地溝帯を見ろしながら4、50分。マサイマラには小さな飛行場が点在しており、セスナは順に立ち寄って客を降ろしていきます。そうと知らない僕たちは、最初の着陸地で降りてしまい、パイロットに言われてあわててまた飛び乗ったのでした。
ムパタ・サファリクラブへ行く客は「KICHWA TEMBO」というところで降ります。ゾウの頭、という意味なのだそうです。なぜ、ゾウの鼻でもなく牙でもなく頭なのかはわかりません。実にシンプルな飛行場で、掘っ立て小屋みたいな待合所と、空港名が刻まれた石の看板と、あとは赤土の滑走路しかありません。高校のテニスコートにあるようなローラーが脇に置かれています。
ドライバーさんとともに僕たちを待っていてくれたのはサムソンさん。木訥な青年という感じ。大学で日本語を学んだそうですが「まだまだです。もっと勉強しなければいけません」と謙遜していました。
加藤さんとの出逢い
ムパタでは加藤さんという若い男性スタッフが迎えてくれました。おだやかな口調と優しそうな表情が印象的な方ですが、タンザニアのレンジャー養成学校で鍛えられてきた筋金入りのナチュラリストです。ケニアにおけるガイドの資格も持っておられます。そういう人生もあるんだなと、少し感銘を受けました。
加藤さんの計らいで、ムパタ・スタッフの居住区や、サッカーの中田英選手がトレーニングをしたというグラウンドも案内してもらいました。
マサイマラの動物の密度は想像以上でした。視界のどこかにたいてい何かいます。カバの群れなんて、僕の感覚では想像できないものでしたから、初めて見たときは驚きました。ただ、ちょうど乾期にあたっていたせいで、ヌーを見かけることはありませんでした。地平線を埋めつくすと言われるほどの群れが見られなかったのは残念です。
母子チーターと出会いました。母親はクィーンズ・ドーターと呼ばれています。ここにいるチーターはすべて個体識別されているそうです。
加藤さんによると「彼女は一時期人間のもとで保護されていたので、人に慣れています。ときどき車のボンネットや屋根に跳び乗ったりするんですよ」とのこと。まだ産毛が逆立った3匹の子どもは、互いにじゃれ合いながら、母親のあとをけんめいに追いかけていきました。
帰国の日
3泊の滞在を終え、ナイロビへ。イーコーニさんの変わらない笑顔が待っていました。
レストラン「カーニバル」で昼食。駆け足でジラフ・センターとカレン・ブリクセン博物館を回り、ジョモ・ケニヤッタ空港へ向かいます。頭の中がなかなか切り替わらなくて、近代設備に違和感を覚えました。ここに降り立った日がずいぶん昔のことのようです。
出国審査を抜けてぼんやりエスカレーターに乗りながら、はっとしてふり返りました。手をふるイーコーニさんの姿が、ちょうど見えなくなるところでした。
(了)

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