2007,8
マサイマラ
癒しの隠れ家へ

ケニアにはいちおうひと区切りつけたつもりでした。
そんな僕らがまたもケニアに向かうことになったのは、2006年のフィジー旅行のせいです。ストレスをめいっぱい持ち帰った僕たち夫婦は、強く誓い合いました。
「来年は絶対ケニアに行く。ムパタ連泊で、思いきりのんびりして、フィジーのぶんを取り返す!」
こうして、僕にとっては4度目、カミさんにとっては3度目のケニア旅行が実現しました。いじめられて隠れ家へ逃げ帰るような気分です。
ジョモ・ケニヤッタ空港では、カミさんの荷物が届かず、その手続きに時間をとられましたが、出口で待っていてくれたのは前回もお世話になったウジクさんでした。
僕らを見つけたウジクさんが、にやりと笑って手を振ってくれました。「2人とも前より若くなりましたネ」
予定していたジラフ・センターやナイロビ・サファリ・ウォークには行けなくなってしまいましたが、異国で知人に会う喜びに勝るものはありません。
ナイロビ市内のホテルで1泊。翌朝早くウィルソン空港へ。
「仕事の都合で迎えにこられませんが、2人とも楽しんできてください」とウジクさん。快晴の空へセスナは離陸。機内はKEEKOROKへむかう客がほとんどでした。おそらくヌーの川渡り目当ての人たちでしょう。
2年ぶりのKICHWA TEMBOは、少し変化がありました。岩の看板がなくなって、かわりに駐車場が広くなっています。お客が増えたのかもしれません。
再会と悲しい知らせ
迎えてくれたのは松岡さんという若い女性。初めてお会いしましたが、しっかりしていて好感が持てる方でした。「ちょうど今、ヌーが集まっていますよ」とうれしい情報。
ムパタで市原さんと再会。彼女の笑顔は、僕たちにとってもうひとつのケニアです。
部屋に荷物を置くと、すぐ前庭へ向かいました。
カミさんはロック・ハイラックスと遊ぶのが何よりの楽しみだったのです。繁殖しすぎて駆除されているんじゃないかと心配していましたが、獣臭が前よりも濃くなっています。
庭木のローズマリーがちょうど通り道になっているらしく、根もとにトンネルができていました。あいもかわらずユーモラスな動きで見飽きません。
バブーン・バーからサバンナを見下ろしました。水にそって伸びる緑のラインは、手の甲に浮き出た静脈をイメージさせます。地球の地肌は今日もやっぱり乾燥しているようです。
「よく帰ってきた」夕食時に、バーテンのフィリップさんがにこにこしながら手を差し出してきました。「今夜のビールはおごりだ。本当によく来た」
給仕のフレッドさんもあいさつに来てくれました。チーフに昇格したそうで、そのせいかダンディさが増しています。
しかし、KICHWA TEMBOが変わっていたように、ムパタもまた、以前のままというわけではありませんでした。
ひとつは、サムソンさんが辞めてしまっていたこと。
もうひとつは、前回ドライバーを務めてくれたマッコーリーさんが病気で亡くなっていたこと。
4度目という数字を多くみるか少なくみるかは人それぞれでしょうが、僕にとっては貴重な記憶の積み重ねです。大きく何かが欠けたような気がしました。ドライバー仲間のシャドラックさんとそのことで話していたら、彼は「We Lost……」と口にして首を振りました。そういう言い回しをするのだと、初めて知りました。
跳んだ! 渡った! 食べられた!
ほら、コロブスモンキーだ――翌朝、ゲートへ向かう坂の途中で、ドライバーのオボッチャさんが指さしました。長い尾をした白黒のサルが森の中に見えます。数え切れないほどサファリをしましたが、バブーンやサバンナモンキー以外のサルを見るのは初めてです。
谷を越えた反対側の急斜面をシマウマやキリンが上手に登っていきます。ああ、またサファリ・ドライブをしているんだと実感。
マラ川づたいに、ヌーの渡河ポイントへ向かいました。ヌーが川を渡る地点は毎年だいたい決まっています。この日向かったのは、いちばん有力なポイントで、サファリカーもたくさん待機していました。
対岸にはみっしりとヌー、ヌー、ヌー。
渡り始めるまでもう少しかかりそうだというオボッチャさんの読みで、少し早めに食事タイム。国境近くの草原で、ヌーの小さな群れに囲まれながらお弁当です。そばのイチジクの木には、ヒョウのつめあとがいくつも刻まれていました。ライラックニシブッポウソウが頭上で踊ります。
無線を聞いていたオボッチャさんが引き締まった顔でふり返りました――「始まったらしい。行くヨ」
さっきのポイントに引き返すと、もうもうと砂煙が立っていました。
勇ましく飛び込むもの、こけつまろびつ崖をずり落ちるもの、仲間に突き飛ばされるもの。幾筋もの黒い列が茶色の川を横切ります。川の中にはチャンスをうかがうクロコダイル。上陸地点にはたくさんのハゲワシやハゲコウ。無事に渡り終えたヌーが、早くも長い列を作って移動していきます。
どんなに渡っても対岸の群れが減ったようには感じられません。すさまじいエネルギーです。僕たちは、写真を撮るのも忘れて、しばらく見呆けました。
これがヌーの川渡り――何度も来た甲斐があったというもの。
しかし、同乗していたカップルは、初めてのケニア旅行で今日が初めてのサファリだということでした。なんという強運。
サファリでいちばん重要なのは、強運の持ち主と同乗すること――僕の経験則です。
やっぱりエランド

僕がいつもドライバーさんに頼むリクエストはエランドです。フロイトの説と関係あるのかどうか、僕はツノの長い動物が好きで、中でもエランドとベイサオリックスが気に入っています。
そう言うと、どのドライバーさんもとまどった表情を浮かべます。理由はおそらくふたつ。エランドを見たがる客なんてめったにいないこと。そして、見つけにくいこと。
ところがこの日、オボッチャさんはいとも気安く、「任せとけ」
こっちが不安になるくらい安請け合いされたのですが、なんのことはない、オロロロ・ゲートを越えるまでもなく、手前の丘に群れがいたのでした。
とはいえ、間近でエランドをじっくり見るのは初めてです。僕たちは夢中になってエランドをながめ続けました。
30分あまりそうしていたでしょうか。気づくとオボッチャさんは昼寝をしていました。手のかからない客だと気を抜いたのでしょう。あとで、カミさんから大変なリクエストをされるなんて思いもせずに。
LOVE4が見たい!
翌朝のサファリ。
オボッチャさんは猛スピードで車を走らせます。以前ラリー関係の仕事をしていたというだけあって、すごいテクニックです。途中、ゾウやキリンの群れと出会いましたが、目もくれません。
いったい、どこへいこうとしているのか。シートの上でガクガク弾みながら、おそるおそる聞いてみました。
何を今さらと言わんばかりに、彼は片方の眉をつり上げました。「ライオンのベイビーが見たいと言ったじゃないか――」
僕たちは、LOVE4と呼ばれる4匹の赤ちゃんライオンがいることを市原さんから聞いていました。それでカミさんが前日にリクエストしていたのです。
「――今なら国境近くにいるはずだ。早くしないとブッシュにもぐりこんで寝てしまう」昨日の自分の昼寝は棚に上げて、さらにアクセルをふみこみます。
少しぬかるんだ草地で、母親のあとを追いかけるLOVE4を見つけました。
しゃにむについて行く子、後ろでふざけっこをして遅れる子。母親ライオンは、ときどき立ち止まってふり返ります。子どもたちの鳴き声はふみゃー、ふみゃーと、仔猫そのまんまです。
オボッチャさんに何度も礼を言いました。
言われた彼のほうがうれしそうでした。
変わらぬ夜明け
最終日の朝。
僕たちは最後のサファリをパスしました。
これまで何度もムパタに宿泊しましたが、部屋からじっくりと夜明けを見たことがありません。一度くらい、ちゃんと見届けてみたかったのです。何度も来ているからこそのゆとりですね。
ちらと太陽のはしがのぞきました。
光はまず真横に広がり、やがてはるかな丘陵をまたぐようにして流れこんできます。マラ
川が色濃く浮かび、平板だった大地に無数の影が立ち上がると、心なしかサバンナがわきたつような感じがしました。
僕は、1年のうち300日ぐらいはもっぱら人生を嘆いているのですが、このときだけはバカな生き方を選んでよかったと思いました。ほんとうに美しい風景です。
僕たちはもう帰るけれど、また新しい客が来て、動物たちの営みに目を輝かせるのでしょう。
近い将来、まちがいなく失われてしまう楽園。
今のうちにできるだけ多くの人たちに見てほしい。そして憶えていてほしい――そう思います。
23日?
ナイロビに戻ると、来られないと言っていたはずのウジクさんが迎えにきてくれました。
聞いてもニヤニヤするばかりではっきりとは言いませんが、無理して都合をつけてくれたことは間違いありません。
ヌーの川渡りが見られたことを告げると、それはよかったと笑い、「23日にはもっとすごくなりますヨ」。
無理ついでに、初日に行けなかったジラフ・センターへ連れていってもらいました。そのかわり、レストラン「カーニバル」の昼食をキャンセル。テイクアウトのお弁当を車の中で食べながら、ジョモ・ケニヤッタ空港へ向かったのでした。

ちなみに、23日という具体的な日にちの根拠がずっと謎だったのですが、たぶん彼は「2、3日後(あるいは2、3日じゅう)」と言いたかったんだろう、という結論にいたりました。
(了)

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